ゲーム開発

パステルになりたかった日 — creator’s night Vol.22

8月も半ばに入ると、朝晩の風が少しずつ涼しくなってきます。
夏も終わりに近づいてきました。

とか思ったんですが、沖縄はまだまだ盛夏なのでした。
インドアな我が家にしてはめずらしく毎週末、海に出かけたりしています。
お陰で、日焼けしまくりです。神奈川時代の写真と比べると自分でビビります。

8月の後半になると、なんだか夏休みが終わるような気がしてしんみりします。
夏休みとかないんですけど。小学校の頃を思い出すんでしょうか。

7月中は陽射しが強いし、まだ1ヶ月以上休みがあるんで気持ちもゆるりとしています。それがお盆を過ぎたあたりから、夕方暗くなるのがわずかずつ早くなり、雨の後の風が涼しさを含んだりして。

子どもの頃育った静岡県では、盛夏にはクマゼミとアブラゼミが鳴いていて、秋が近づくとツクツクホーシの声が聞こえてきます。

那覇は、というと、8月末はまだ夏真っ盛りです。
去年の記憶をたどると、10月くらいまでは夏だった気がします。

そんな夏(休み)の終わり、玉城さんにお声掛けいただきまして。
Creators Night Vol.22に登壇することと相成りました。

自宅兼事務所からてんぶすまでは徒歩で15分くらいです。すーじ小を開拓したので、ほぼ一直線に向かうことができます。

会場となったてんぶす那覇さん

この「てんぶす」、観光で来ていた頃から(当時はOPAでした)目の前を通ってました。下のローソンとか、その前にある喫煙所はよく利用させていただいてました。
不思議と、中に入ったことはないんですよね。

というわけで、初てんぶすです。

大きな吹き抜け。風が気持ちいいです

……観光客に混じって写真撮りまくってました。面白いですねこの建物。
スマホでパシャパシャしていると、今日の登壇者が揃いました。

CGCG Studioの取締役、3DCGクリエイターの山添 武さん。
株式会社リサレコ社長、ゲーム音楽家の来兎さん。
DOKUTOKU460社長、アートディレクターの城間 英樹さん。

沖縄在住のそうそうたるメンバーです。
どっちかというと僕が話を聞きたいんだけども、という気持ちを抑えつつ(緊張しています)会場へ。

CN22会場準備中。このあと「ポッ拳」の対戦とか始めてしまいまして…

控え室に入って出番を待っていると、ゲームクリエイターの育成についての話が始まりまして。むしろここの雑談をそのまま配信しても良いんじゃないか、ってハナシもありましたが、ちと外には出せないのでオフレコに。

ま、それに、話す内容は用意してありました。

「生徒たちに、出口を教えて欲しいんです」という、お世話になっている学校の先生の言葉です。

出口。

ゲーム作る!っていっても選択肢がありすぎて、逆に分からなくなるんですよね、きっと。
パブリッシャはいっぱい露出する一方、デベロッパーは探さないと出会えない。探す方法もよくわからない。
ですので、僕は「選択肢」をいっぱい、提示することを心がけてます。最後に決めるのはキミだけど、決めるための選択肢と情報はできるだけ渡すよ、というポリシーでいます。

ゲーム業界、ぱっと見は明るくて華やかな世界に見えます。
というか、どの業界もそうだと思います。外から見て「しんどそう」というのは、中に入ったら相当ってコトでしょう。

それにエンターテインメントは、作っている側の苦労なんて絶対外に出しちゃいけないと思ってます。なので、外から見て「楽しそう」ってのはいいことなんだろうなと思います。

でも、「楽しそう」だけだと仕事できないのも真実で。
スキルは必要だし、スタンスとか心構えみたいなモノも(方向性が)必要だし。

ということで、どうやってゲーム屋さんになったのか、というのをお話ししてみました。未だに思うのは、僕は「9時5時の会社員は無理でした」「モノ書いたり作ったりしてないと死ぬ」だったことが大きいのかなぁ。
生きていくための仕事、(ちょっぴしでも)自分が社会貢献できる仕事、っていうと、たどり着いたのがコレだったんだと思います。

最初はフロントエンドのプログラマで、ユーザーサポートやってみたり社内SEやってみたりと、だいぶ迷走した果ての結論でしたし。だからアレだ。迷え。失敗しろ。そうそう死なないから。
あとあれだ。人の言うこと聞くな。尊敬する先輩や先生の言葉でも、いったん自分で飲み込んで検討した上で取捨選択するのがいいんだろうなとおもっています。自分事にするかどうか、みたいな。

ナムコでプログラム書いてた頃の先輩に言われて、今なお「そうだよなあ」と思ってることがありまして、

「俺が言ったことをそのまま信用するなよ?コマンド1つでも、絶対自分で調べて、納得したら使えよ?でないと「こないだこう言ったのに」ってなるからな。そんなエンジニアは要らん」

みたいな(細かくは違っていると思いますが、大意こんな感じ)。

この先輩今でも尊敬してまして、「焦らず急げ」とか良い言葉をたくさんいただいてます。こういう、現場でも学校でも「すげぇ!」って思える人に出会えるかどうか、って大切だなぁと思います。

講演でもお話しした内容ですが、ゲーム作りたいなぁ、ってぼんやり思ったのは小学生の時。
ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」にリアルタイムで触れたから、でしょう。そのあと中学生でライトノベル「フォーチュン・クエスト」「ロードス島戦記」「スレイヤーズ」を知って、コンプティークのTRPG「ロードス島戦記」を知り、広告でホビー・データの「クレギオン」を知って、作る側に回ったのが決定的でした。おそらく。
ぜん息持ちで身体が弱かったので、本とかゲームが娯楽のメインだったのもあるのかな。父がファミコン買ってきてくれたのもとても大きかったのかも。

つまりあれですよ。パステルになりたかったんですよ、僕は。

そんな自分の原点も思い出しつつ。
30分ほど時間オーバーするほどに講演も盛り上がっておりました。

その後、夜のおもろまちで打ち上げ。場所を移動して、朝方4時くらいまで盛り上がっておりました。
移動先でもかなり濃いお話しが出たのですが、それはその場にいた人の心の中、ということでひとつ。

打ち上げ会場。ここでもたくさんのお話しがありました

次回も予定されているそうですので、興味持たれた方はぜひ来てくださいませーー!