ゲームは一日一時間……と、高橋名人がおっしゃってました。
子どもの頃も、今も、守ったことはあんまなかった気がします。
今は仕事なので一時間ってわけにはいかないですし。
最初のゲーム機はファミコンでした。
父の友人の家にあって、「スーパーマリオブラザーズ」を触らせてもらって、夢中になって。それを見た父が買ってきてくれたのがはじまりです。
ドラクエIIIは初めて発売日に買い、スーパーファミコンも発売日、PC-Engineとメガドライブは友達の家で遊びつつ、任天堂ハードメインでした。
高校の時にPlayStationが出てやっぱり買い、間にNEO GEOをはさみつつSEGA SATURNもやってきて、ついでにPC-FXもやってきて。
ほんと浴びるほどゲームしてたと思います。
誰に言われるわけでもなく。
ゲームの世界観とかシナリオを気にしだしたのは、たぶんドラクエIIあたり。
パーティメンバーが増えるごとにフィールドの曲が変わる、ってのにびっくりして、脳内で再生し続け、サントラ(当時はCD持って無かったのでカセットテープ)買って聴いてました。
それから、エニックス(当時)の出版部門が出してた「ドラゴンクエスト アイテム物語」って本があって、おそらくこれの影響が大きいです。
これと「4コマ漫画劇場」シリーズに、「精霊ルビス伝説」。
世界観の補強とか、「実はこういう由来があってね?」的な、今だと当たり前のように出る「設定資料集」みたいなものなんですが、当時、本屋で買える「ゲームの設定資料」ものとしてはほぼ唯一だったと思います。
そんな折、買っていたゲーム誌「ファミリーコンピュータマガジン」のコラムに、ゲーム開発者になるのはどうしたらいいか、というテーマの回がありました。
開発者さん(宮本茂さんだった気がする)の回答が、
浴びるほどゲームをしてください。いつか飽きます。
そしたら作りたくなります。
みたいなことが書いてあって。
当時は「ふーん?」くらいだったんですが、今振り返ってみるとよく分かります。
浴びるほどやらないと、作るためのネタの引き出しが埋まらないので、アイデアを「組み合わせる」ことができないからです。
なにより、「作りたい!」って思うには、自分の感情が強く揺さぶられるような体験があった方が良いので、そんなゲームに出会うために、プレイしまくることがどうしても必要です。
その一方で、ゲームがこれだけ浸透して一般にも(それなりに)認められるようになってきたので(ありがたいことです)、「どうしてもゲームを作りたいんだ!」っていう激情を持った人だけではなく、「職業選択の一つとして、ゲームに関わることがしたい」って人も増えたようにおもいます。
そういう人に、めっちゃ情熱持って「ゲームやろうよ!」って言ってもやりたいこととずれる(ゲームは好きだけど、そこまで好きじゃない)のが悩みどころでもあったりします。
技術的にというか、淡々とくみ上げていってゲームを作ることもできるんですが、ゲームって嗜好品なので、そういうゲームを「面白い」と思うかはまた違う気がしていて。
なので今のところは、ゲームを「作りたい」のだったら、浴びるほど、飽きるまでゲームをやってみる、というのが近道かなとおもいます。